雑学

天地創造と進化論

はじめに

日本の学校では天地創造を事実とは教えませんよね。進化論が事実だと教えてるでしょう。

「神がこの世の万物を造ったなんて、誰も信じてないよ。進化論が常識じゃん。」
と思っている人が多数派ではないでしょうか。

でも世界には24億人ほどのキリスト教徒がいます。この人たちは聖書を信じています。ということは天地創造は事実だと思っているのでしょうか。

ところで、私は「ブラウン神父」という英国の推理探偵ドラマが面白くて度々見るのですが、この主人公はカトリックの神父です。(英国教会でもプロテスタントでもなく、カトリックです。キリスト教の奥の深さを感じます。)

このブラウン神父は名探偵なんですが、犯人を捕まえるよりも、犯人の神による救いを最優先にするという設定です。当然、神も聖書も疑いなく信じています。神父ですからね。
その村に住む人々も、神も聖書も信じ、日曜日には教会に集うというドラマです。
(古き良き時代の英国の田園風景が描かれた名作だと思います。)

また現在の日本にも190万人以上のキリスト教徒がいるということになっています(宗教年鑑2021年:文化庁)。
ただし、ずっと神も聖書も信じ続け、日曜日に教会に集っている人が何人いるかは分かりません。おそらく、もっと少ないでしょう。

それにしても、世界中には神も聖書も信じている人が大勢いるわけです。

「常識じゃん。」・・・常識の観念が日本と世界とでは違うようです。

天地創造

創世記のくだりを見てみる

それでは聖書を紐解いて、天地創造のくだりを見てみます。
聖書と言ってもさわりの部分の、旧約聖書の最初の書、創世記(第1章、第2章)です。

本文は下記の外部リンクに載せていますので、下記のリンクからお読みください(出典:日本聖書協会)。

創世記1章
創世記2章

ここでは天地創造の七日間を要約します。(1章)

(ついうっかり、人は七日目に想像されたと勘違いしてしまいますが、人の創造は地の生き物と同様六日目で、七日目は休んだ日、安息日なのですね。)

第一日目:光とやみ

第二日目:おおぞら、おおぞらの下の水と上の水

第三日目:かわいた地(陸)、青草と種をもつ草、種のある実(果樹)、
     実を結ぶ木

第四日目:昼をつかさどる大きい光、夜をつかさどる小さい光

第五日目:水の生き物、鳥

第六日目:地の生き物(獣、家畜、這うもの)、
     人(神のかたちに想像された男と女)

第七日目:休み(安息日)

それでは天地創造について、そろそろぼやいていきます。

第一日目の光とやみ? はて、何のことでしょう。

第二日目のおおぞらの下の水とは海、上の水とは空でしょうね。

第三日目に陸ができ、植物が生まれています。

第四日目に大きい光(太陽)、小さい光(月)が創造されています。

あれれ、順番が逆では?太陽がなければ植物は生まれませんよね。

それと、第一日目の光って太陽ではないのですね。太陽をはるかに超えた宇宙のことでしょうか。神秘的です。

第五日目に魚とか鳥が創造されています。

第六日目に陸の生き物が想像されています。家畜、這うもの、地の獣。家畜は最初から家畜として創造されていたのですね!這うものとはへびでしょうか。
そして最後に、人が創造されます。

第七日目は休まれた。

ところで、キリスト教って一神教ですよね。でも創世記には
「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り・・・」(1章26節)
と書いてあります。

「われわれ」って誰なんでしょうか?

一神教って、神はお一人では?
うーん、悩みます。

また「主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。」(2章22節)とあります。

女性って男性のあばら骨から造られたのですか・・・万能の神たる所以ですね。

進化論

では次に、進化論についてぼやいてみます。

種の起源

難しい議論はさておきまして、進化論を簡単に言うと

生物のそれぞれの種は、単純な原始生物から進化してきたものであるとする考え

とのことです。

ダーウィンの「種の起源」が有名ですね。

本(もと)となる原子的な生命体が進化して枝分かれしていき、色々な生物が形成されていった。

そうすると、人の祖先も本をただせば原始的な生命体ってことですか。

じゃあ、人間も進化の過程で一つ間違ってたら、下等動物のままだったかも知れないと。

下等動物のままだったら、悩むこともないし本能のまま生きていれば良かったのか・・・

それにしても、弱肉強食の世界だしなあ・・・

下等動物とは言わないまでも愛玩動物だったら、ペットとして幸せに暮らして行けたかも。

あれ、やっぱり人間の存在が必要じゃないですか。

人はなぜ生きるのか

進化論が正しければ、人の世界も弱肉強食で当然ということになります。

そうすると人権弾圧で人を〇しても、強いものが正しいという理屈が通りますね。

いや、「許せん!」
人って本能的にそう思うものではないでしょうか?

「法に触れなければ、どんな卑劣なことをしても自分さえよければよい。」
そんな人が、現実にはいると言われます。

一方では、他人のために人生を捧げた偉人もいます。

人って何のために生きてるんでしょう。

マズローという心理学者(1908~1970年)が唱えた欲求段階を記載します。

食欲、性欲、睡眠欲を満たすため。

寒さをしのぐ着物を着たり、安全な住居に住みたいという欲求を満たすため。

地位が安定して、家族や友人と楽しく暮らせる人生を送りたいから。

自分が優れているということを、他の人に知らしめたいから。

自分自身の理想を実現させたいから。

どうも進化論だと、私たちの生きる理由を説明できない気がします。

終わりに

それでは最後に進化論に基づいたNHKの番組の外部リンクを貼り付けます。

[人類誕生CG] 440万年前の人類は愛妻家でイクメンだった!? | NHKスペシャル | NHK

この動画をご覧になって
「そうだ、そうだ、440万年前の人類はこんなだったんだ。天地創造なんて非科学的だ。」

と思われましたでしょうか。

それとも
「この猿人のような状態の前はどのように進化していったんだ?進化論は穴だらけだ。」
「万物は創造主がお造りになったにちがいない。」

と思われましたでしょうか。

私は・・・・・・・・・・