雑学

忘れられない大投手⇒野球賭博で永久追放と無念の出火事件

賭博で真面目な選手を潰さないでほしい

くだもの小僧と申します。

大谷翔平選手が大変なトラブルに巻き込まれていることは、多くの方がご存じのことと思います。

YouTuberには中にはアカウント数を稼ごうとして、『大谷が危ない』みたいな動画をアップする人もいますが、私は大谷選手は絶対お咎めなしになって欲しいと思います。

大谷選手が賭博に手を染めてることはあり得ませんし、こんなことで大谷選手がメジャーリーグで野球ができなくなるなんて、多くの人にとって、ただただ不幸なことです。

この投稿時点ではまだ調査中ですが、エンゼルス戦では大谷選手は試合に出てました。

今回の件は、まるでC級映画のような賭博事件ですが、”賭博はやってはいけない”に尽きますね。

なぜ多くの人が、賭博にのめり込んでしまうのでしょうか。それは人の欲ですね。賭博で儲けようとする方もそうですが、賭博を仕切っている方も欲の塊です。

黒い霧事件で潰された大投手「池永正明」

池永正明投手の成績は凄かった

MLBだけでなく日本野球機構(NPB)でも、賭博事件はありました。

その中でも私が忘れられないのが、池永正明投手です。

年配の方ならよくご存じと思いますが、西鉄バッファローズの大投手でした。
(ですが、私は池永投手を実際にテレビで見たことはほとんどありません。当時はテレビのプロ野球中継と言えば、ほとんど巨人一辺倒でした。)

池永投手は、下関商業高等学校から西鉄に入団しました。下記に日本野球機構のサイトから取得した成績を載せます。(以下、出典は日本野球機構)


新人でいきなり20勝。5年間で99勝ですから、後5年間あれば合計で200勝。かりに晩年衰えたとしても、通算で300勝は軽く達成できたと思います。

打つ方でも割と打ってます。打率は2割前後です。打撃が良いので、打順が6番だったこともあるそうですし、3年目からはホームランもたまに打ってますね。


最後の6年目の成績が少ないのは、黒い霧事件で野球界を永久追放になったからです。

池永投手の同期には、「ジャンボ尾崎」として有名なゴルファーの尾崎将司氏がいます。早々に見切りをつけてゴルフに転身されて成功されたわけです。

池永正明投手はお金を預かっただけで永久追放された

池永投手は八百長には一切関わっておりません。

中日の田中投手が、暴力団?に追われていて、お金を持っていたら殺されるから預かってくれと懇願されて、押し入れに隠したとのことです。

これは、漫才師の「ザ・ぼんち 里見まさと」さんが、池永氏ご本人から直接聞いた話とのことです。詳細は下記のリンクで聞いていただければと思います。

ザ・ぼんち 里見まさと「#27 阪神岡田監督誕生の長い一日&元西鉄エース 池永正明から聞いた話をどうぞ」

それなのに、池永投手はプロ野球界から永久追放されたのです。

東京地方検察庁特別捜査部が動いた

黒い霧事件は世間でも問題になりました。自民党と社会党(今では絶滅状態ですが、当時は第一野党でした)の議員が国会で取り上げました。

東京地方検察庁特別捜査部(東京地検特捜部)と言えば、ホリエモンこと堀江貴文さんのライブドア事件が有名です。下記に堀江貴文さんの解説動画を載せます。

【ホリエモン】裏金も安倍派も関係ありません。東京地検特捜部が狙う理由はあの人の逮捕を見ればわかります【酷すぎる組織のやり方】

上記の動画の事件は、太陽光パネル絡みの詐欺ですので内容は全然違いますが、東京地検特捜部がどういう組織かを物語っています。

と言うことで、池永投手は見せしめにされたと言われてます。

堀江貴文さんは事業家として復活できてますが、プロ野球を永久追放されたら、復活できません。池永投手がまだ23歳の時です。

東京地検特捜部のための見せしめで、将来有望な大投手の野球人生を潰されてはたまりません!!!

池永正明さんのその後

その後、池永正明さんは福岡市博多区の繁華街・中州にてバー「ドーベル」を2007年まで営んでおられたとのことです。

2005年4月25日に日本野球機構は池永さんに対する処分を解除することを発表したことで、池永正明氏は日本プロ野球に復権されました。

永久追放されてから35年後のことです。

この復権運動には、西鉄の先輩である稲尾氏や豊田泰光氏、同期入団だった尾崎将司氏、親交のある小野ヤスシ氏・なべおさみ氏・大橋巨泉氏らが中心となり、池永の処分取り消しを求める署名運動などが幾たびか行われたとのことです。

池永正明さんは、2022年9月25日にがんにより76歳でお亡くなりになりました。

超人村田兆治。でも不幸な形でお亡くなりに...

超人、村田兆治

もう一人忘れられない投手は村田兆治氏です。

村田投手と言えば、まさかり投法が有名です。

子供の頃、有名な投手の投球フォームを真似して遊んでいたものです。阪急の山田投手とか、阪神の江夏投手とか小林投手とか。

だけど、村田投手の投球フォームは真似できませんでした。真似しようとしても、全然さまになりませんでした(ところで私は野球経験が無いです。見るのは好きですが)。

それから村田兆治さんは、非常に体の強い方だったそうです。子供の頃、友達がびっくりするような怪我をしても平気でいたとか。

村田兆治投手の成績は凄かった

村田投手の成績は凄くて長かったです。

村田投手の投げる球は力強く、フォークは「本当に消えました」と原辰徳氏が現役時代に語ったほど、切れ良く落ちました。

1983年にトミー・ジョン手術を受けまして、その年の登板はありません。翌1984年の終盤に復帰してます。

翌年からローテーション入りしましたが、毎日曜日に登板するので「サンデー兆治」と呼ばれました。
今では中6日が当然のようになってますが、当時は中6日は異例の登板間隔だったのです。


引退後、プロ野球OBで行われた試合で138キロの直球を投げ込んで、皆を驚かせました(確か村田氏50歳くらいだったと思います)。

(失礼ですが)ロッテは弱小球団だったので酷使されました。
また、村田兆治氏の年俸はとても低いです。人気球団に移籍していたら、何倍もの年俸をもらえてたと思います(ゲスはすぐに金の話をする。私か)。

非業の死

その後、青少年の野球指導にも熱心だった村田兆治さんですが、2022年11月11日3時ごろ起きた自宅での出火でお亡くなりになりました。72歳でした。(池永氏のちょっと後ですね。)

2階の室内の床に座ったままの状態でお亡くなりになってたそうです。死因は一酸化炭素中毒です。

この悲報を聞いたとき、私の頭の中で一瞬時間が止まりました。

村田兆治さんが暴行罪で逮捕された?!!!!!!!

村田兆治さんのお亡くなりになる少し前、2022年9月23日に村田氏は暴行罪で逮捕されました!!!

テレビで見てましたが、大々的に報道されるのは「村田氏が暴行罪で逮捕」という言葉です。

実際は、羽田空港の保安検査場で30代の女性検査員の左肩を右手で押す暴行を加えたということでした。

「前に立ちはだかったからどかしただけ」と、村田氏は暴行を否定されたとのことです。

『左肩を右手で押したら暴行罪で逮捕』...私見ですけど、世の中おかしいと思います。

このちょっとした動作のため、村田兆治氏は今まで培ってきた人生に大きな傷をつけることになりました。

『前に立ちはだかった女性検査員の左肩を右手で押したら暴行罪で逮捕
繰り返してしまいましたが、こんなちょっとした動作で逮捕なのでしょうか。前にたちはだかったら相手が手を押してくることは自然の成り行きとも言えます。暴行罪を誘発したのでしょうか(私見です)。

私の勝手な憶測ですが、この暴行事件と村田兆治氏の出火死は関係あったと思います。

村田兆治氏のような人だと、暴行罪で逮捕されたことで自分を責めたのではないでしょうか。
憶測ですが、この逮捕されたという状態を潔しとされなかったのではないでしょうか。

無念です。あのちょっとした動きがなかったら、村田兆治氏はやすらかな最期を迎えることができたと思うと、無念です。

Wikipediaを見ても、村田兆治氏の暴行逮捕に関しては記述がありません。皆も村田兆治氏の経歴に傷をつけるようなことは書きたくなかったのかも知れません。