経済

都銀13行の変遷から日本経済を垣間見てみました

都銀13行を覚えておられますか

くだもの小僧と申します。

長い間サラリーマン生活をやってきましたが、新卒で入社した時に、都銀13行を覚えるように言われたことが記憶に残っています。

それで、一生懸命に都銀13行を覚えたのですが、まもなく、あれよあれよと言う間に都銀が合併し始めまして、いったい何行になったのか、分からなくなってしまいました。

今では3大メガバンクと言うのですね。

とうとう3つになってしまったのか、と思いますが、りそな銀行は3大メガバンクには入れてもらえず、4番目の勢力になっています。都銀なのに・・・

くだもの小僧が認識している都銀13行とは、以下の銀行です。

第一勧業銀行、富士銀行
東京銀行、三菱銀行、三和銀行、東海銀行
三井銀行、住友銀行、太陽神戸銀行
大和銀行、協和銀王、埼玉銀行
北海道拓殖銀行

そんな銀行聞いたことがないと言われる方もいらっしゃるかと思いますし、いやもっと色々な銀行があったよと言われる方もいらっしゃると思います。

本投稿では、くだもの小僧の入社時を基準に、「都銀13行」とさせていただきます。

歳をとってから、「都銀13行」を思い出そうとしたのですが、どうしても11行くらいしか思い出せませんでした。

当時都銀は就職活動において最も人気のある企業でした

日本の都銀がブイブイいわしていた頃は、就職活動をしている多くの学生が、都銀に長蛇の列をなしていました。

それまで大学というレジャーセンターで、ラフな格好で遊び惚けていた学生たち(学者や弁護士などを目指す人たちは一生懸命勉強してました)が、髪を七三に分け、白いワイシャツに紺色のスーツ姿で、就職活動に奔走しました。

くだもの小僧も遊び惚けていた一人でしたが、会社訪問では銀行には行きませんでした。
自分が銀行マンになるなんて全く想像できなかったからです。
サラリーマンになる人にとっては、就職活動は人生の分岐点ですね。


「どこが面白いの?」と言われそうな4コマ漫画ですが、就職先を欲しがっていながら、職務経歴書に噓八百を並べ立てて舐め切った態度の男が、面接官から常套な質問を投げかけられ、慌てるところがオチだそうです(うーん、オチてますかね)。
でも確かに、入ったこともない企業の将来性や社風なんて、わかるわけないですね。

今でも3大メガバンクは、昔ほどではないにしろ、大学生が就職したい企業の上位に入っているようです。
(会社のデカさが半端じゃないですものね。メガというほどですから。)
人気企業のトップ10を見ると、メガバンク以外には保険会社や商社が上位を占めているようです。

3大メガバンクと都銀に統合された都銀13行

ウィキペディアには立派な図が載っていますが、くだもの小僧なりに都銀13行が整理統合された様子を図にしてみます。(参照:ウィキペディア)
ウィキペディアに比べたら、ずいぶん簡素な図です(都銀だけに絞ってます)。

薄黄色が都銀13行で、ピンク色が現在の3大メガバンクとりそな銀行です。


三菱と東京が合併したのが1996年ですね。この時は、今までの負け組の合併と違って、勝ち組の合併だと言われていました(実際どうだったんでしょう)。
三和と東海が合併したのが2002年ですね。
その4年後に東京三菱とUFJが合併して、三菱東京UFJ銀行となり、長い名前だと揶揄されました(2006年)。名称的には三菱と東京の順序が入れ替わっていますね。
2年後の2008年に東京銀行の名前が無くなっています。


三井が太陽神戸と合併したのが、都銀の合併として一番早かったのですね(1990年)。意外でした。太陽神戸三井銀行も長い名前ですね。2年後の1992年に名称がさくら銀行に変わりました。預金通帳を持ってたのを思い出しました。
9年後、住友と合併して三井住友銀行という名称に落ち着きました(2001年)。


満を持して、日本興業銀行を加えて3行が合併したのは2002年でした。
みずほ銀行は合併の時、大変なシステム障害を起こしたのを覚えています。
普通、企業が合併するときは、システムを1つに統合するものなのですが、みずほ銀行ではお互いが折り合わず、それぞれのシステムを物理的に統合せずに、各社のシステムをデータ連携させたとのことです。
そりゃあ、うまくいくわけないなあ、と思います。
少し以前にも、システム障害起こしてましたね。システムをきれいに統合した方が良いのにと思いました。


協和と埼玉が合併したのは、太陽神戸銀行設立の翌年です(1991年)。
大和銀行が合併してりそな銀行になったのは、ずっと遅れて2003年ですね。
りそな銀行は、経営状況悪化時に公的資金の注入を受け、ピーク時3兆円以上の残高がありましたが、2015年に完済しています。
あの頃、公的資金と言う言葉がちょっと話題になりましたが、完済したのは立派だと思います。

日本興業銀行は都銀ではないです。
北海道拓殖銀行が都銀として存在していたのですが、2006年に消滅しました。

バブル景気で非常に短期間だけどわが世の春を謳歌した日本の都銀

バブル景気っていったい何だったのだろうかと思います。
くだもの小僧なりに簡単に要約してみます。

1985年にプラザ合意というものが行われ、米国の輸出力を強めるため、急激なドル安が容認されました(これが発端!)。

そのあおりを食って、日本は急激な円高(米ドル安の反対)となりました。
その対策のため日銀は公定歩合の引き下げを行い、そして為替リスクのない日本国内市場に資金が集まりました。

それによって、日本の株価と土地価格は高騰しました。
日本のバブル景気とは、株価と土地価格だけが高騰したものです。
株と土地を持っているものが金持ちになったのです。

そして株価と土地価格が高騰したために、都銀の含み資産は膨らみ、その資産額は非常に高くなったのです。

そのため、都銀の資産額が世界でもトップ10の中に何行も入ったのです。

その後、不動産融資規制と営業特金規制によってバブルが崩壊し、日本は長期に渡る不景気に陥ってしまったということになっていますが、高橋洋一氏は、バブルつぶしのために、金融引き締めをおこなったことが不景気の最大の悪因だと言われています。
下記のリンクをご覧ください。

第5回 バブル崩壊から失われた30年の原因

上記の動画中に出てきますが、「平成の鬼平」と呼ばれた日銀総裁とは三重野康氏のことです。

この後、日本経済は不良債権処理に苦しむことになりました
(銀行は貸し剥がしを行いました。「晴れの日に傘を貸し、雨の日に傘を取り上げる」)

安倍政権時の黒田総裁になって頑張ったと思いますが、デフレ脱却には至りませんでした
植野総裁は、デフレ脱却を実現してくれるのでしょうか。

下記のリンクに日銀総裁やデフレ脱却に触れている拙稿を載せていますので、よろしければご参照ください。

日本のGDPが成長してない原因を理解してその理不尽さに気づきましょう

りそなはなぜメガバンクに入れてもらえないのか

3大メガバンクとりそな銀行の財務諸表を見て、理由が分かったと思います。

下記の表をご参照ください。
金額は直近の財務諸表から取りました。


当年度で見ると、3大メガバンクの資産額は、299兆円、242兆円、216兆円と軒並み
200兆円を超えているのに対して、りそな銀行の資産額は、43兆円弱です。

メガバンクとするのには、ちょっと規模が小さいのですね。
金額データの大小を比べて見てみると、仕方ないのかなと思います。

ここまできたらついでなので、3大メガバンクとりそな銀行の有価証券報告書のリンクを載せます。
預金が負債科目であることが銀行の特徴ですね。

連結財務諸表は下記の枚数目からです。

三菱UFJ銀行:111枚目から
三菱UFJ銀行有価証券報告書

三井住友銀行:83枚目から
三井住友銀行有価証券報告書

みずほ銀行:100枚目から
みずほ銀行有価証券報告書

りそな銀行:81枚目から
りそな銀行有価証券報告書

都銀の合併の変遷を振り返ってみました

くだもの小僧が都銀13行を覚えたのも束の間で、あれよあれよ言う間に都銀は合併を繰り返しました。

大会社がこんな短期間に次々合併するなんて、都銀ならではの現象でした。

日本の金融システムがしっかりしてくれないと、日本経済がおかしくなります。
頑張っていただかないと。

都銀の名前の変遷も、思い出してみると懐かしいものがありました。
昭和と平成の時代を生きてきたのだなあと感じます。

後十何年かすると、令和生まれの社会人が出てきますね。

その時も、就職活動って同じようにやってるのでしょうか。

くだもの小僧は、令和生まれの社会人を見ることができるのかなあ。